「なんで私ばかりやっているんだろう」
家事をしていると、ふとそんな気持ちになることがありませんか。
「もう少しやってくれたらいいのに。」「言わなくても気づいてくれたらいいのに。」私も以前は、夫に対してそんなふうに思うことがよくありました。
でも最近は、夫を変えようとすることをやめました。すると不思議なことに、家事の量が大きく減ったわけでもないのに、以前よりずっと気持ちがラクになりました。
変わったのは夫ではなく、たぶん私のほうです。
この記事では、「なんで私ばかり」と感じていた私が、相手ではなく自分の暮らしに目を向けるようになるまでのことを書いてみます。
以前は「もう少しやってくれたら」と思っていた
夫と一緒に暮らし始めて、14年ほどになります。
夫は、家事をまったくしない人ではありません。ゴミ捨てや犬の散歩、洗濯など、夫がやっていることもあります。
それでも以前の私は、「もう少しやってくれてもいいのに」「なんで私ばかり気づくんだろう」と思うことがよくありました。実際に家事の割合でいくと自分の方が多かったこともあります。直近2年(私が派遣社員の間)を除き、お互い正社員で仕事をしています。
自分が料理をしている横で夫がのんびりしていると、なんとなくイライラする。頼めばやってくれるけれど、「頼まないとやらない」ことにもモヤモヤする。
今思えば、家事そのものだけではなく、「私と同じように気づいて、私と同じように動いてほしい」と思っていたのかもしれません。
相手を変えようとすることに疲れた
長く一緒に暮らしていると分かってきます。人にはそれぞれ、気になることも、得意なことも、優先順位も違います。
私が気になることを、夫はそれほど気にしていない。逆に、夫が気になることを、私は気にしていないこともあります。
それなのに、「どうしたらもっと家事をしてくれるだろう」「どう言えば分かってくれるだろう」と考えていると、ずっと相手のことを気にすることになります。
やってくれた。やってくれなかった。気づいた。気づかなかった。そんなふうに、相手の行動をずっと採点しているような状態でした。これが、案外疲れます。
そこで私は少しずつ、相手を変えることを、自分の仕事にするのをやめました。
「夫はどうする?」ではなく「私はどうしたい?」
それからは、家事をするときにも、「夫は何をしている?」ではなく、「私はどうしたい?」と考えるようになりました。
部屋が散らかっていて、私が片づけたいなら片づける。料理を作りたいなら作る。今日は疲れていて何もしたくないなら、やらない。お惣菜でもいいし、外食でもいい。「夫がやらないから私がやる」ではなく、自分が快適に暮らしたいから、自分で選んでやる。そう考えるようになったら、不思議なくらい気持ちがラクになりました。
もともと私は、黙々と作業することが嫌いではありません。料理も好きだし、部屋が整っていくのも好き。だったら、「まあ、私が好きでやっているんだよね」くらいでいいのかもしれません。おかげで夫は、かなり快適な生活をしていると思います(笑)。
「相手を変えない」は、我慢することではない
ただ、これは「自分が全部やればいい」という話ではありません。できないことは頼めばいいし、疲れているならやらなくてもいい。自分ばかりが無理をして苦しくなっているなら、家事の分担について話し合うことも必要だと思います。
私も、自分では抱えられないことまで黙って引き受けようとは思いません。私がやめたのは、家事を頼むことではなく、「相手にはこうあってほしい」と、相手を自分の思い通りに変えようとすること。
ここは、似ているようで少し違う気がしています。
相手ではなく、自分の暮らしに戻ってくる
「なんで私ばかり」と思っているとき、私の意識はずっと夫に向いていました。夫がやるか。やらないか。気づくか。気づかないか。でも、それは私にはコントロールできないことです。
そこから少し離れて、「じゃあ、私はどうしたい?」と自分に戻ってくる。
部屋をきれいにしたいなら、できる範囲できれいにする。今日は休みたいなら、休む。手伝ってほしいなら、頼む。そうやって一つずつ自分で選ぶようになったら、「なんで私ばかり」と思うことはずいぶん減りました。
夫が劇的に変わったわけではありません。家事の量が劇的に減ったわけでもありません。それでも、以前より暮らしはずっとラクです。相手を変えようとすることから降りて、自分がどう暮らしたいかに戻る。私にとっては、それが夫婦で穏やかに暮らすためのひとつの方法になっています。
実は過去に仕事でも同じようなことがあった
私は昔、仕事でも相手を追い詰めてしまった経験があります。当時年下の新卒の子に対し、相手にこうなってほしい、という教育をしてしまったのです。今でも悔やんでいます。
少しずつ、彼女のペースで、彼女のやり方を覚えてくれればいいだけだったのに。「こうあるべき」のような、威圧的な感じだったと思います。そして厄介なのが、自分はとても熱心に指導しているつもりだということです。
今となれば当たり前にわかることですし、逆のことをされたら私だったら萎縮してしまい、やはり追い詰められてしまいます。
相手を自分の思うように変えようとすること自体に、無理があったのだと思います。それはどんな人間関係にも共通することです。
過去の反省を踏まえ、仕事では相手との距離の取り方をしっかり見直し、心地良い関係を築くことを優先するようになりました。
私は「黙々と作業する」のが好きなのかもしれない
最近、気づいたことがあります。
私は案外、黙々と何かをするのが好きなのかもしれません。料理をしているとき。片付けをしているとき。ブログを書いているとき。何かに集中しているとき。
夫から話しかけられると、「ごめん、今ちょっと黙っててほしい……」と思うことがあります(笑)。疲れているからというのもあるし、単純に今は自分の作業に集中したい、ということもあります。
以前だったら、「夫婦なんだからもっと会話しなきゃ」と思ったかもしれません。でも、14年も一緒に暮らしていると、ずっと会話している必要なんてありません。
同じ家にいて、それぞれ別の部屋で好きなことをしている。食事のときに一緒に過ごす。それくらいでちょうどいい。沈黙が気まずいわけでもないし、会話がなくても不安にならない。むしろ、安心して別々のことをしていられること自体が、長く一緒に暮らしてきた夫婦の良さなのかもしれません。
ちょっと頑張りすぎてしまう人へ
家族・友人・恋人・職場。人間関係にはあなたとお相手がいるものです。
多分、一生懸命な人やちゃんとしようとする人ほど、気づいたら色々負担が増えていたり、相手の状態に対してストレスを抱えて悩んでしまうのではないでしょうか。
ちょっと目線を変えてみると、案外やらなくてもなんとかなったり、一旦頑張ることから思い切って降りてしまうと視野が広がったり、ちょっとしたきっかけで楽になることができるものです。
一度試してみると、いろんな場面で応用が効きます。「あ、この前これは辞めても大丈夫だったから、ここも省けるかも。」「今日は疲れているから、今までは無理してでも頑張ってたけど、今日は辞めてみよう。」と、その場その場で気づくことができます。
やらなきゃダメな自分になってしまう、なんてことはありません。多分、あなたはもう十分すぎるほど頑張り屋さんなのではないでしょうか。
少しずつ引き算をしてみると、ちょっと世界が優しく見えるかもしれませんね。



人を変えようとして疲れたとき、私がやめたこと
- 「なんでやってくれないの?」と考え続ける
- 相手の行動を監視する
- 自分がこれだけやったことを相手に分からせようとする
- 相手が変わることを前提に自分の機嫌を左右される
こういうことをやめました。
そして代わりに、
- 自分がやりたいなら自分でやる
- 疲れていたら外食する
- 相手のペースを自分の基準で評価しない
- 「私はどうしたい?」に戻る
というふうにしました。
相手の行動まで自分が背負わなくていいと思えるようになると、心がずいぶん自由になりました。以前の私は、自分の感覚を相手にも求めて、思い通りにならないとイライラすることがありました。でも、相手の気持ちや行動は相手のものです。
そして同じように、自分の気持ちや行動も自分のもの。相手のことまで請け負わなくていいのだと思います。そう考えるようになって、意外にも「私は自分を大切にできていなかったのかもしれない」という気づきに至りました。
変えられない相手のことで消耗し続けるのは、もったいない。ピリピリするくらいなら、手放してしまえばいい。「なんで私ばかり」と疲れてしまったとき、少しでも心を軽くするヒントになれば嬉しいです。


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